「昔のKAT-TUNの人気は凄かった」という言葉をよく聞きますよね。
彼らのジュニア時代からの壮絶な人気と、デビュー当時の盛り上がりは、まさに社会現象と呼ぶにふさわしいものでした。
この記事では、「KAT-TUNはどれくらい凄かったのか?」という疑問に答えるため、彼らの伝説的な記録やエピソードを、ファンの目線で徹底解剖していきたいと思います!
KAT-TUNはどれくらい凄かった?全盛期を数字と記録で振り返る
KAT-TUNの全盛期がどれほど凄かったかは、当時のCD売り上げやドームでギネス並みの更新、個々での活動などから振り返ると、充分伝わるのではないでしょうか。
彼らは単なる人気アイドルグループではなく、音楽業界とアイドル業界の常識を次々と塗り替える伝説的な存在でした。
全盛期の華々しい功績:CD売上・視聴率・ライブでの圧倒的記録
ジュニア時代から、デビュー組の先輩にも引けを取らない壮絶な人気を誇っていたKAT-TUN。
2006年3月22日に待望のデビューを果たした際には、デビューシングル「Real Face 」に加え、アルバム「Best of KAT-TUN」とDVD「Real Face Film」と3枚同時にリリース。
『Real Face』が100万枚、『Best of KAT-TUN』が70万枚、『Real Face Film』が50万枚と、デビュー作品での異例な記録を作ったのです。
結成からデビューまで5年ほどかかったにも関わらず、彼らの勢いは凄まじかったようだ…!
デビュー1年前、ジャニーズの若手タレントにとって登竜門ドラマといっても過言ではない「ごくせん」シリーズに、亀梨和也さん・赤西仁さんが出演し、視聴率は32.5%と“平成中期の最大ヒット”を記録。
今でも「伝説」と呼ばれているドラマへとなりましたね。
デビュー後も6人それぞれが大ヒットドラマに次々と出演し、彼らの個性を活かし、活躍していましたね!
2009年に開催された単独ライブ「KAT-TUN LIVE Break the Records」では、東京ドーム10日間連続・京セラドーム3日間連続公演と“ギネス級の記録を更新”。
演出の規模も含め、グループ史上最大スケールのライブでしたね。
6人のKAT-TUNは本当に凄かったんだなと、この記録を振り返ると実感しますね…。
しかし、人数が減ってしまってもグループの実力が劣ることがなかった事実は、人気だけで昇りつめた来たわけではなく、彼らの「実力と魅力は本物」だったと証明してくれてると思います。
デビュー前から伝説!KAT-TUNの凄さはジュニアから完成していた?!
KAT-TUNの“伝説”は、CDデビューを果たす以前からすでに始まっていたといっても過言ではないでしょう。
ジャニーズJr.という立場でありながら、すでにトップアーティスト並みの人気と影響力を誇っていた彼らの活躍を振り返ってみましょう!
社会現象を巻き起こしたドラマ「ごくせん2」「野ブタ。をプロデュース」
ジュニア時代から数々ヒット作ドラマに出演し活躍をしていたメンバー。
その中でも、世代を超えて知れ渡っているであろう名作は「ごくせん2」と「野ブタ。をプロデュース」なのではないでしょうか。
ジャニーズにとっての登竜門ドラマでもあった「ごくせん」シリーズへの出演は、“仁亀”と呼ばれる伝説コンビの影響で、ファン以外の視聴者からの注目度も凄かったでしょう…!
亀梨さんが主演を務めた平成大ヒットドラマ「野ブタ。をプロデュース」は、有名ですよね。
共演した山下智久さんとの期間限定ユニット“修二と彰”による、ドラマ主題歌としてリリースしたCDシングル「青春アミーゴ」はミリオンセラーを記録しました。
ドラマ・楽曲とともに、“平成の名作”といってもいいんじゃないでしょうか!
「青春アミーゴ」は今でも後輩に歌い継がれており、ジャニーズの名曲として愛されています。
応募殺到!初の単独コンサートに55万人のファンが熱狂
彼らの人気は、単独コンサートの動員数にしっかりと表れていました。
2002年に開催された初の単独コンサート『お客様は神サマーConcert 55万人愛のリクエストに応えて!!』には、その名の通り55万人ものファンを動員。
これは、まだCDデビューもしていないグループとしては信じられない数字です。
大阪松竹座では、1日に11回公演という前代未聞のスケジュールをこなすなど、デビュー前から彼らの実力と魅力、パフォーマンスが多くの人々を惹きつけていたのでしょう…!
史上初!デビュー前に発売したライブDVDが年間売上1位を獲得
2005年に発売したライブDVD『KAT-TUN Live 海賊帆』は、デビュー前の作品でありながら、その年の音楽DVD年間売上ランキングで1位を獲得するという快挙を成し遂げました。
発売時期の前に放送されていた『ごくせん』の大ヒットも大きく影響されたのでしょうか。
デビュー前にも関わらず、KAT-TUNらしいド派手な演出が見応え抜群のライブ映像、一度は見てみる価値アリです!
>KAT-TUN|Storm Label OFFICIAL SITE
音楽史を塗り替えた「トリプルクラウン」デビューの伝説!
2006年3月22日、ついに待望のデビューを果たしたKAT-TUN。
デビューシングル「Real Face」、デビューアルバム「Best of KAT-TUN」、デビューDVD「Real Face Film」の3作品が、オリコンチャートの各部門で同時に初登場1位を獲得。
この「トリプルクラウン」は史上初の快挙であり、彼らのデビューがいかに衝撃的な出来事であったかを物語っています。
>KAT-TUN|Storm Label OFFICIAL SITE
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さらに、CDデビュー前に東京ドームで単独コンサートを開催!
彼らが伝説的な存在であったことを証明しています。
しかし、この伝説的な記録は「彼ら6人が努力を重ね続けた実力と魅力」があってこその結果。だからこその結果だったのではないでしょうか。
彼らの努力とファンの支えが実った、誇らしき結果だと思います!
なぜKAT-TUNは「怖い」と言われた?嵐もビビった当時の真相
KAT-TUNといえば、「ワイルド」「ダーク」といったグループのイメージがありますよね。
これは他のジャニーズグループにはない独特のオーラであり、過去に存在した大先輩グループ「男闘呼組」以来のイメージで、新しくも珍しいこのグループの色が人気の1つでもあったでしょう。
しかし、同世代ながら先輩でもある嵐のメンバーなども「怖かった」と語るほど、過去にはグループのイメージ通りの「若かりし頃のヤンチャエピソード」も多くあり…(笑)
そんな“実は本当に怖いわけではなかった”、少しクスっと笑えるようなほっこりヤンチャエピソードを振り返り!
「ワイルド系アイドル」という革命的なコンセプトはなぜ生まれた?
KAT-TUNのもつワイルドなイメージは、「不良系」にも見えるような、危険で予測不可能なイメージでした。
派手な髪形に、じゃらじゃらと光るごつめのアクセサリーといった出で立ちは、当時のジャニーズの中では群を抜いた派手さであったことから、その反骨精神あふれるスタイルが若い世代の心を掴みました。
この「ブラック&ワイルド」というコンセプトは、彼らの音楽やパフォーマンスにも響き、強力なイメージを築き上げました。
楽屋での殴り合いや日常茶飯事だった?ライブの演出で仲直りした伝説も!
彼らの尖ったイメージは、単なる演出ではありませんでした。
メンバー同士の衝突は日常茶飯事で、コンサート後に楽屋で殴り合いの喧嘩に発展することもあったと語られています。
ファンの間で継がれている伝説の喧嘩といえば、亀梨さんと上田さんの喧嘩ですよね…!
デビュー前のライブにて、中丸さんのミスをフォローできなかった上田さんに対し、亀梨さんは「なぜフォローできなかった?」とグループのためという思いが強かったあまり責めてしまったそう。
悪気がなかった上田さんも「お前にできても俺にはできねぇんだよ!」と返し、そこから殴り合いの喧嘩へと発展。
亀梨さんは「こんなグループやってられねぇ」とそのまま帰ってしまったのですが、次の日ジャニーさんの電話で呼ばれ、「もうクビって言われるのかな…」と思い事務所へ向かったそう。
しかしジャニーさんからの言葉は意外なもので、「ライブで喧嘩できるなんて最高だよ!」と褒められたそう。
これをきっかけに、ライブで2人の喧嘩を再現した演出を加え、和解した亀梨さんと上田さん。
赤西さんはこの喧嘩に対して「(グループのために)意味のある喧嘩だった」と言及しており、2人にとっても今では「こんなことあったよね」という思い出になっている様子ですよね。
今でも続く2人の強い絆と信頼関係は、この喧嘩があってこそだったのかもしれません。
先輩の嵐も驚愕した「とんがった革靴」とは?
嵐のメンバーが語ったところによると、挨拶に来たKAT-TUNメンバーの「とんがった革靴」を見て、「革靴で踊るのか?」と非常に驚いたそうです(笑)
当時の彼らの衣装といえば、黒づくめのロングコートや革ジャンに、とがりまくった革靴、サングラスにじゃらじゃらのアクセサリーと、王道のアイドル衣装とは程遠いものでしたね…。
きっとそんな衣装にも彼らの反骨精神が含まれていたのかもしれません。
6人それぞれが芯が強く“自分をしっかりと持っていた”ということでもあります!
「怖い」イメージの原因はヤンチャエピソード?
「KAT-TUNが怖かった」という話は、主にデビュー当時の6人時代を思い出す人が多いと思います。
「喧嘩が絶えなかった」「オラオラ感が強かった」との話から“怖かった”と連想するのがほとんどかと思われますが、実際は世間が思っているほど怖いものではありませんでした。
喧嘩の内容も、「楽屋の床に落ちている生クリームは誰の仕業だ?」や「ゲーム中に負けたら煽られた」など、よくあるような可愛らしい理由も多くあるのです(笑)
6人時代の出演番組や、シングルなどの特典映像を見ていても、決して仲が悪いなんてことはなく、「これだけ仲が良かったら喧嘩だってするよね」と思うレベルです。
絶えない喧嘩は彼らのグループへの熱い想いとプロ意識、互いの信頼関係からのものでした。
メンバー脱退の真相は?6人から3人に至るまでの苦難と軌跡
輝かしい成功の裏で、KAT-TUNはメンバーの相次ぐ脱退という大きな試練に見舞われ続けました。
6人から始まったグループが、最終的に3人になるまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
ですが彼らは最後の最後まで「ファンを幸せに導いてきてくれた」最高のグループであり、どんな困難にも決して負けることはありませんでした。
ここからは、筆者である私の個人的憶測も含まれますので、ご理解いただいた上で読んでくださると幸いです。
【2010年】赤西仁の脱退理由:語学留学から帰省するも裏にあった本当の想いとは
2006年10月12日にロサンゼルスへ語学留学のため、無期限で活動休止を発表した赤西さん。
ですが2007年4月19日に帰国し、活動を再開し、グループへ再び戻ってきたのは、メンバーにとってもファンにとっても喜ばしい出来事でしたね。
しかし3年後の2010年に、自身のソロライブにて再びアメリカへ。グループ活動は休止となっていましたが、同年7月に正式に脱退を発表しました。
あまりの衝撃にショックを受けたファンは多かったのではないでしょうか…。
当時、脱退の理由は「グループとの方向性の違い」でしたが、中には喧嘩が絶えなかったというエピソードからなのでしょうか、「亀梨さんとの不仲説」が多く上がりました。
だけど私は、赤西さんの人柄から考えて「グループ内格差が嫌だった」のが1つの原因にあるのではないかと思っています。
おっとりとした性格とメンバー想いであった彼はきっと「6人平等」で活動していきたかったという思いが強く、それが不可能ならグループにいなくていいという考えだったのではと…。
実際、現在は亀梨さんと赤西さんは互いのSNSに反応しあっていたり、亀梨さんも自身のYouTubeチャンネルで「お兄ちゃんみたいな感じだった」と話しています。
2人の関係は決して悪い感じであったことはなかったんじゃないでしょうか…!
【2013年】田中聖の脱退理由:「度重なるルール違反」の具体的な内容
2013年9月30日、「度重なるルール違反」が原因となり、契約解除で事務所を退所した田中さん。
私はこの当時、hyphenになって1年半でしたが、はじめてのメンバー脱退を経験し「やるせない悲しさ」があったのを覚えています。
この発表があった1か月ほど前から、テレビで頻繁に見ていたKAT-TUNのCMを「突然流れなくなった気が…」とは思っていたのですが、まさかの理由の前触れであったことに驚きを隠せませんでした。
確かに素行に問題は多々見られましたが、メンバー想いで、なにより私たちhyphenを心から大切にしてくれていた人柄は本物であったと思っています。
【2016年】田口淳之介の脱退理由:生放送での衝撃発表の背景
2015年11月24日に放送された「日テレ系音楽祭典 ベストアーティスト」にて、2016年3月31日付で一身上の都合によりKAT-TUNを脱退し、事務所も退所することを発表。
4人での再出発をして間もない突然の報告に、衝撃が大きかったですね…。
私も同じhyphenである友人と大号泣したほど、本当に残念で仕方なかったのを今でもはっきり覚えています。
未だに彼が脱退した本当の理由は明らかとなっていませんが、自身のインスタにて「後悔はしていない」と言及していたことから、理想とは違っても、結果やりたいことへと繋げられているのかもしれませんね。
明るく気さくで人懐っこい人柄は、間違いなくグループにも素敵な影響をもたらしていました。
充電期間を経て復活!3人のKAT-TUNが示した新たな絆
10周年イヤーを区切れに“グループを強くする”ために「充電期間」を発表したKAT-TUN。
「これ以上、応援してくれているhyphenを絶対に悲しませるわけにはいかない」という彼らの覚悟でした。
有言実行、この充電期間を経て帰ってきた3人は“間違いなく成長”を遂げていました…!
1年8ヶ月の充電と、ファンの変わらぬ想い
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2016年5月1日に行われた、グループ10周年ライブ「KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR "10Ks!"」の最終公演を区切りに“充電期間”へと入ったKAT-TUN。
いつ復帰するのか明確になっていなかった活動休止期間に、「次いつ3人に会えるのか?」「このまま解散するのでは?」と不安を感じていたファンは多かったでしょう。
しかし、3人それぞれがドラマやバラエティ、舞台やソロライブで活躍している姿をみて「きっと必ず帰ってくる」と安心していったファンもいたのではないでしょうか?(私もそうでした)
この期間中も互いのwebや雑誌などを通し、「3人で会っている」との話を見て、なおさら安心しましたね。
きっと徐々に、強くなったKAT-TUNに必ず会えると、不安から確信に変わっていったhyphenも多かったであろうと思っています。
伝説の復活劇!うちわを握りしめたジャニーズカウントダウン
そして、待望であった時は訪れました…!
2017年12月31日~2018年1月1日に放送された「ジャニーズカウントダウンライブ」にて、重大発表が事前に報告されていました。
その重大発表は、“KAT-TUN再始動”の発表だったという、新年早々に大歓喜の瞬間が訪れたのです!
テレビ越しでも伝わるほど、多くのファンが歓喜の声で会場は大盛り上がりとなり、筆者に至ってはあまりの嬉しさに興奮しすぎて手に持っていたうちわの柄を思わず折ってしまったほどです(笑)
この一夜は、KAT-TUNとhyphenの絆の強さを証明する伝説的な出来事となりました。
衰えぬ実力と才能:個々の進化がグループを強化
彼らの本当に凄かったものは、人数が減っても実力と才能が一切衰えていくことがなかったことではないでしょうか。
人気がガタ落ちすることもなかったのは、困難を乗り越え続けた結果がファンからの信頼を高めていったのです。
3人へとなったときの“充電期間”は確実に個々の才能をさらに磨き上げていき、ファンの期待を上回るほどに成長して帰ってきたからこそ成功と繋がったのではないかと思います…!
何人になっても衰えることを知らなかったのは、6人全員の「努力と実力と才能」が“本物”であったことを証明しました。
嵐と人気が逆転?お互いに和解し得た絆
壮絶な人気を誇っていたKAT-TUNのライバルであった、同世代のグループ「嵐」。
今では国民的アイドルグループへと成長した嵐との、ファンだからこそ知っている本当のエピソードを紹介します!
若かりし頃の過ち?今は尊重しあえる良き先輩と後輩関係に!
確信のあるものがないので、噂話に等しいですが有名なエピがあります。嵐が国民アイドルになる前の話だそうです。
過去に亀梨さんと赤西さんが「嵐ってたいしたことないですよね」と言ったのをきっかけに、KAT-TUNと嵐の仲はあまりいいものではなかったと言われています。
きっと当時2人もまだ20代前半でグループも絶頂のなか、少しイキってしまっていたのかもしれませんね…(笑)
しかし数年後、亀梨さんは嵐に対し「申し訳ございませんでした」としっかりと誠実に謝罪したという話が。
たしかに過去には共演の際、互いに気まずそうな雰囲気を隠しきれていない様子もチラホラ見えていた中、2012年ごろから亀梨さんをはじめ、とても仲睦まじい様子へと変化していました。
これを証拠に、“和解した”というのは事実だったのでしょう…!
亀梨さんは大野さんから似顔絵の大きな絵画をプレゼントとしていただいていたり、上田さんは悩みを親身になって聞いてくれた櫻井を「アニキ」と慕るようになっていたり…、
中丸さんも、二宮さんとYouTubeチャンネルをやっていたほど親交が深まっています。
今では互いに良き関係を築いている、先輩・後輩へと変わっていったようです!
KAT-TUNの本当の凄さはライブにあり!特効とMCのギャップという魅力
ファンしか語れない、彼らの本当の凄さはライブでのパフォーマンスに現れています!
「KAT-TUNしかできない」そんな圧巻のパフォーマンスを厳選して紹介していきます!
総制作費32億円!?東京ドーム「10日間連続公演」という不滅の伝説
>KAT-TUN|Storm Label OFFICIAL SITE
2009年開催、KAT-TUN史上最大規模であったライブ 「KAT-TUN LIVE Break the Records」。
このライブはまず開催日程が10日間連続公演という前代未聞の記録を更新したのだ。
高さ約35m×幅約120mの巨大スクリーン、使用した水約200t、バックを勤めるジャニーズJr.は200人以上等々と、演出もド派手かつ大掛かりな大規模なものとなったのです。
また、亀梨さんのソロ曲「1582」では、噴水の上で和傘に乗り、フライングで回転しながら花火を持ったりと、これまでに見たことない迫力であり、
これは後にも先にもKAT-TUNのライブでないと見られないレベルなんじゃないでしょうか…?
さまざまな記録を飾ったこのライブは、今でもジャニーズの不滅の伝説として語り継がれています。
炎、水、爆発!KAT-TUNの代名詞「特効」にこだわり続けたライブ演出
(KAT-TUN LIVE TOUR 2019 IGNITE にて)
同じ事務所の先輩グループ・後輩グループのメンバーが口を揃えていうのは「炎といえばKAT-TUN」。
10年以上hyphenの私も何度もライブに参戦していますが、たしかに火を見なかったライブはないなと(笑)
そしてKAT-TUNのライブでお馴染みのラスト演出といえば「特効」ですよね!
彼らにしかできないド派手で圧巻の特効ですが、あまりの迫力とボリュームに「そろそろ来るな…!」と察知できた際には、身構えていないと驚くことも(笑)
他にも花道を囲む大量の噴水や、最近では砂を降らす演出まで…!
彼らのこだわりの強さが一目見ればわかる、そんな迫力と派手さ満点のライブを一度は見てみて欲しいです(笑)
不良イメージからのギャップ!まるで小学生(?)のような無邪気なMC
彼らのライブのもうひとつの魅力といえば、無邪気なMCですよね!
パフォーマンス中はワイルドで色気たっぷりの「さすがKAT-TUN…!」と見惚れてしまうような、クールな雰囲気なのに…。
MCとなれば彼らは一変し、小学生のようなはしゃぎっぷりで暴れ出します(笑)
メンバー同士で小学生レベルのイジリ合いでわちゃわちゃと一悶着、下ネタで二悶着と…、このギャップの激しさが彼らのライブの醍醐味といっても過言ではないですよね(笑)
私もKAT-TUNのライブMCは毎回と言っていいほど涙が出るほど大笑いしてきました(笑)
解散しても最強?メンバーの現在と未来の活躍予測
FAMILY CLUB online「Break the KAT-TUN」 ←配信チケット詳細はこちらから!
2025年3月31日に解散し、11月7日にはラストライブを開催するKAT-TUNですが、
その後もメンバーそれぞれ個人として活動を続けています。
6人時代から3人となった現在まで、さまざまな壁を乗り越えながら、たくさんの歴史を刻んできた彼らの努力と才能は、hyphenの心にずっと残り続けるでしょう。
そして事務所の後輩たちにも、この経験は受け継がれていくと思います…!
3人それぞれ全員がたくさんの後輩に慕われていて、上田さんは個人イベントで「後輩には俺みたいになってほしくない」と、自身のような辛かった経験をしてほしくないと言及していました。
しかしこの辛い経験があったからこそ得たものも、間違いなくあったと思います。
そんな彼らの背中を見て、成長していく後輩は今後たくさん現れるのではないかと、楽しみでもあります…!
それぞれの道へ:独立、残留を選んだ3人の現在地
解散後、亀梨和也さんは事務所を退所し独立の道を選びました。
新たな挑戦もしていきたいという亀梨さんは「今後の自分の活動によって、事務所の輪を乱してしまわないように独立を選んだ。事務所とは今でも良好な関係です。」と話されていました。
この配慮が、先輩たちを敬い、後輩たちを大切にしているのがさらに伝わりますよね…。
一方、上田竜也さんと中丸雄一さんは、個人として事務所に残留。
私の憶測ではありますが、上田さんは気にかけている後輩が多いため、ライブを終えた後もしばらくは事務所に残り続けるのではないかと思っています。
その後輩たちが今後デビューしていき、「もう安心かな」となった際にはまだ分からないですが、ここまでたくさんの幸せをくれたからこそ、やりたいように自分の道を進んでほしいですね。
中丸さんも「この事務所に骨を埋める」というほどなので(笑)、きっとしばらくは残り続けるかもしれないですね!
解散後にラストライブを開催するという異例のパターン。
これは、事務所も想定外のメンバーとhyphenの絆の強さを証明したからこその結果なのではないでしょうか…!
どの時代も私たちhyphenに幸せと感謝を伝えてきてくれたKAT-TUN。
最後の最後まで、大切にしてくれる彼らの今後を、どんな形であっても応援し続けていきたいですね。
ライタープロフィール

- ジャニ担
- 小学生時代からジャニオタとして人生を歩んできました!ファンにとって得しかない、知りたいことだけを知れる読めるブログにしていきます。






















