こんにちは。アイドル芸能「推しの人」、運営者の月島レイです。
みなさんは、「昭和のアイドル」と聞くと、どんな姿を思い浮かべますか?
テレビでキラキラした衣装で歌うソロのアイドルや、キャンディーズのような3人組はすぐに思い浮かぶかもしれませんね。
突然ですが、「4人組のアイドル女性って昭和にいたかな?」と疑問に思うこと、ありませんか?
「昭和の四人組アイドルは誰?」と聞かれても、すぐに名前が出てこない、という人も結構いるんじゃないかなと思います。
たしかに、1980年代のアイドルグループといえば、松田聖子さんや中森明菜さんなど、ソロで活躍する人たちが本当にすごかった時代です。
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だから、グループの印象は少し薄いかもしれません。
でも、そんな時代にも、すごく個性的で「有名な4人組」がいたんです。
そして、その後の平成時代に出てきた4人組アイドル女性・日本のグループと比べてみると、時代が全然違うことがよくわかります。
この記事では、そんな「4人組」という特別な人数に注目して、
昭和から平成にかけての女性アイドルの歴史を、私なりの視点でわかりやすくお話ししていきたいと思います。
ポイント
- 昭和の時代に活躍した、今も語りつがれる4人組の女性アイドル
- 1980年代のアイドル女性一覧のなかで、4人組がどんな存在だったか
- 昭和の4人組と平成の4人組、それぞれのスゴイところや違い
- 時代を代表するグループの、ちょっとびっくりするようなお話
4人組アイドル女性・昭和の伝説とその系譜

「推しの人」イメージ画像
「4人組アイドル女性・昭和版」と聞いても、すぐにイメージがわかないかもしれませんね。
それは無理もないと思います。
さっきもお話ししたように、昭和のアイドルといえば、一人でステージに立つソロアイドルや、ピンク・レディーやキャンディーズのような2人組・3人組が中心でしたから。
でも、そんな時代だからこそ、ものすごく強い印象を残した「4人組」が実はいたんです。
ここでは、その今も「伝説」として語られているグループに、じっくりとスポットを当ててみたいと思います。
昭和の四人組アイドルは誰?
「昭和の四人組アイドルは誰?」と聞かれたら、私は迷わずこの名前を挙げます。
それは、「セイントフォー」です。
セイントフォーさん凄かったなぁ。 pic.twitter.com/k7yk0tRa83
— やまもっちゃん (@misakiCYT) March 29, 2018
もちろん、70年代にはゴールデン・ハーフのようなグループも活躍していましたが、
80年代のアイドル全盛期に「4人組」という形で、これほどまでに強烈なデビューをして、
今も「あのグループはすごかった」と語り継がれるエピソードを持っているのは、やっぱりセイントフォーが一番かなと私は思います。
彼女たちがテレビに出てきたことは、当時のアイドルファンにとって、まさに「事件」と呼べるくらいインパクトがありました。
昭和の4人組の女性グループ
セイントフォーは、1984年11月にデビューした4人組の女性グループです。
メンバーは、岩間沙織さん、浜田範子さん、鈴木幸恵さん、板谷祐三子さんの4人でした(板谷さんが途中で抜け、後に声優として有名になるいわお潤さんが加入しています)。
チャンネル変えたら #セイントフォー 出てて慌てて録画。うわぁ最初っから観たかった&録画したかったこの番組( ´~` ) #スマートフォンデュ pic.twitter.com/UXdZi1Giru
— SWAMP☆西荻サブカル酒場 (@SwampqmawS) March 29, 2018
当時のアイドルといえば、松田聖子さんの「聖子ちゃんカット」が大流行していて、
みんなフリフリの可愛い衣装を着て「可愛らしさ」や「守ってあげたい感じ」が人気でした。
「秋桜」山口百恵 (1977)
「思秋期」岩崎宏美 (1977)
「秋止符」横山みゆき (1979)
「秋が燃える」石川ひとみ (1980)
「風は秋色」松田聖子 (1980)
「秋冬」高田みづえ (1984) pic.twitter.com/I455EHDvTN— 🎧️趣味趣味ミュージック (@crippled_in) October 5, 2025
でも、セイントフォーはまったく違ったんです。
彼女たちのキャッチフレーズ、つまり「自分たちはこういうグループです」という紹介の言葉が、
「歌って、踊って、アクロバット」でした。
「アクロバット」ですよ?
可愛い衣装で歌うのが当たり前だった時代に、いきなり体操選手のようなすごい技を見せるグループが出てきたんですから、そりゃあみんなびっくりしました。
1980年代のアイドルグループ
1980年代のアイドルグループ、特にセイントフォーがデビューした1984年頃は、本当にソロアイドルの全盛期でした。
テレビの歌番組を見れば、中森明菜さんや小泉今日子さんといった「花の82年組」と呼ばれる人たちが次々とヒット曲を出していました。
そして、そして『花の82年組』で、今日デビュー43周年の堀ちえみさん㊗️🎉🎊💐
年々歳を重ねるのは当たり前、なのに、どのちえみちゃんも初々しくて可愛い💕❤️😍
昭和57年3月21日発売、デビュー曲「潮風の少女」💕
昭和58年4月21日発売、「夏色のダイアリー」☀️🏖️📔… pic.twitter.com/T7A8BK0BgH— 80's アイドル親衛隊 (@80s_idol_club) March 21, 2025
そんな中で、新しくグループアイドルとしてデビューして、みんなの注目を集めるのはすごく大変だったと思います。
だからこそ、セイントフォーを売り出す大人たちは、「どうしたら注目してもらえるか」をすごく考えて、とてつもなく大きな作戦を立てました。
彼女たちのデビュー戦略は、まさに「昭和」という時代の勢いや「熱量」みたいなものを全部詰め込んだような、スケールの大きなものでした。
豆知識:ライバル「少女隊」との関係
実は、セイントフォーとほぼ同じ1984年にデビューしたグループに「少女隊」がいます。
彼女たちも、デビューのために何十億円も使ったと言われていて、当時は「セイントフォー vs 少女隊」みたいによく比べられていました。
80年代のアイドルデビューが、いかに大きなお金が動く「一大プロジェクト」だったかがわかりますね。
セイントフォープロジェクト・脅威の40億円デビュー!
セイントフォーのお話で、絶対に外せないのが、あの有名な「40億円デビュー」というキャッチフレーズです。
40億円の予算で売り出されたはずだったセイントフォーの不透明すぎる予算内訳。 pic.twitter.com/WgswGdGMes
— 吉田光雄 (@WORLDJAPAN) November 12, 2019
40億円…。
今聞いても「え!?」って声が出ちゃうくらいの金額ですよね。
ただ、この40億円というのは、もちろんCDを売るためだけの宣伝費ではありません。
「40億円プロジェクト」の中身とは

「推しの人」イメージ画像
じゃあ、何にお金が使われたのかというと、こんな感じです。
- メンバーの育成費用:デビュー前に約2年間、歌やダンス、そしてアクロバットの厳しいトレーニングを合宿で行うための費用。
- 映画の製作:なんと、デビューと同時に彼女たちが主演する映画『ザ・オーディション』を作って公開しました。
- 特別な車の発売:自動車メーカーのフォードと協力して、「セイントフォー・スペシャル」という特別仕様の車まで発売したんです。
これら全部を合わせた、プロジェクト全体の総額が「40億円」だったと言われています。
この「40億円」という数字自体が、「こんなにお金をかけたすごいグループが出てくるぞ!」と世間に知らせるための、一番の広告だったんですね。
当時(昭和59年)の日本は、景気が悪い時期から抜け出して、これから良くなっていくぞ!という「回復ムード」でした。
(出典:内閣府『昭和59年度 年次経済報告』)
そんな「イケイケドンドン(死後です)」な昭和の空気感が、このとんでもないデビュー作戦を生んだんだなと思います。
80年代アイドル女性一覧とアクロバット
当時の「80年代アイドル女性一覧」をずらっと並べてみても、セイントフォーの個性は飛び抜けています。
彼女たちの最大の武器、それはやっぱり「アクロバット」です。
歌番組で、カラフルなレオタード(体操服みたいな衣装)を着て、
歌の途中でいきなりバック宙(後ろ向きに回転ジャンプ)や側転を披露する姿は、本当に衝撃的でした。
変な衣装を着るのがグループばかりなのは、コンセプトがあるから。スターボーは宇宙人、セイントフォーはアクロバット。設定を考えるのは大変ね。キャンディーズのは、デザインのアン・ルイスがピンクレディーを意識したんじゃないかな。桜田淳子のはオリビア・ニュートンジョンへの憧れという話。 pic.twitter.com/ndwj3eVjro
— 懐かしい昭和時代(女性) (@natsukashi__) December 9, 2023
今のアイドルのダンスもすごいですけど、こういうサーカスみたいな技をやるアイドルはいませんでしたから。
これは、デビューまでの約2年間、本当に厳しいトレーニングを積んだからこそできたものです。
そのパフォーマンスは、まさに「努力と根性」の結晶でした。
こうした「私たちはこんなに頑張ってます!」という過酷な努力をしっかり見せるスタイルも、すごく昭和の時代っぽかったなと私は感じます。
だが、活動期間は、わずか2年余り…
でも、あれだけすごいお金と時間をかけてデビューしたのに、残念ながらグループは1987年に解散してしまいます。
活動していたのは、だいたい2年2ヶ月くらいでした。
この「40億円」という大きすぎる夢と、「わずか2年ちょっと」という短すぎる活動期間…。
このギャップこそが、セイントフォーを「ただのアイドル」じゃなくて、今も語り継がれる「伝説」にしている一番の理由なのかもしれません。
4人組アイドル女性・昭和から平成への変遷

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セイントフォーが解散してから約9年後、時代は「昭和」から「平成」に変わっていました。
そして1996年、日本の音楽シーンをまったく新しいルールで塗り替える、次の「4人組」が登場します。
昭和のアイドルが、大人の考えた「すごい計画」のもとに作られたのだとしたら、
平成のグループは、自分たちの「すごい技術」で勝負するアーティストでした。
この時代の変化は、4人組という同じ人数でも、はっきりと見えてくるのが面白いところです。
有名どころで女性4人グループといえば、SPEED!
平成の女性4人グループといえば、もうこのグループしかいない!というくらい、圧倒的な存在でした。
そう、「SPEED」ですよね。
「Go! Go! Heaven」
SPEED pic.twitter.com/fdOCqPia3Q— まつ子 C#14 E#76 (@matsuko318) October 30, 2025
1996年にデビューした彼女たち(島袋寛子さん、今井絵理子さん、上原多香子さん、新垣仁絵さん)が出てきた時の衝撃は、セイントフォーとはまた全然違う種類のものでした。
もし、セイントフォーが「昭和の根性」のシンボルだったとしたら、
SPEEDは「平成の才能とスキル(技術)」のシンボルだったと私は思います。
とにかく、歌もダンスも「レベルが違う」と感じました。
有名な4人組の圧倒的スキル
SPEEDが、他の有名な4人組とまったく違ったのは、その「スキル」の高さでした。
それもそのはず、彼女たちは、あの安室奈美恵さんやMAXといったスターたちを育てた、「沖縄アクターズスクール」の出身だったんです。
つまり、デビューした時にはもう、歌のうまさもダンスのキレも、プロとしてバッチリ完成されていた感じがしました。
ここに、昭和と平成の大きな違いがあります。
| 時代 | グループ | デビューまでの流れ |
|---|---|---|
| 昭和 | セイントフォー | 素人の女の子を集めて、会社が「40億円」かけてゼロから「製造」した。 |
| 平成 | SPEED | すごい「育成機関(スクール)」で技術を磨いた「エリート」が選ばれてデビューした。 |
セイントフォーが「ハイリスク・ハイリターン」なプロジェクトだったのに対し、
SPEEDは「すでに実力が証明されている子たち」をデビューさせる、もっと確実な方法でした。
しかも、デビューした時の平均年齢が13.5歳(!)と、みんな小中学生だったことにも、世間は本当に驚きました。
「こんなに若いのに、こんなに歌もダンスもすごいの!?」というギャップが、彼女たちの魅力でした。
女性4人グループ歌手の時代
SPEEDは、すぐに「アイドル」という枠を超えて、「女性4人グループ歌手」として、J-POPという音楽ジャンルのど真ん中を走っていきました。
有名なエピソードがあります。
デビュー前、プロデューサー(SPEEDを売り出す大人)は、最初はカウボーイハットをかぶるような、ちょっとアイドルっぽい衣装を考えていたそうです。
でも、メンバー自身が「私たちは、TLC(当時アメリカで大人気だった、かっこいいR&Bグループ)みたいになりたい」とハッキリ希望を伝えて、
あのTシャツにパンツみたいな「ストリートファッション」でのデビューが決まった、というお話です。
これは、セイントフォーの時とはまったく逆ですよね。
昭和と平成のコンセプトの決め方
- 昭和(セイントフォー) 会社(大人)が「アクロバットでいこう」というコンセプトを決めて、メンバーがそれに応えるために頑張った。
- 平成(SPEED) メンバーの「私たちはこうなりたい」というハッキリした意志が、グループのスタイル(見た目や音楽)に影響を与えた。
この違いは、時代が「大人が作ったアイドル」から
「自分で表現するアーティスト」を求めるようになった、大きな証拠かもしれないなと思います。
4人組アイドル女性・日本の系譜
セイントフォーからSPEEDへ。
この「4人組アイドル女性・日本」の大きな流れを見てみると、アイドルを売り出す「ビジネス」のやり方が、まったく変わったことがよくわかります。
昭和モデル(セイントフォー)
まず「40億円」という大きなお金をかけて、「アクロバット」という誰もやっていない「すごいモノ」を作ります。
そして、「40億円もかけたんだぞ!」という話題性で、世間の注目を一気に集めようとしました。
これは、成功すれば大きいですが、もし失敗したら大損してしまう、とても危険な賭けともいえる「ハイリスク・ハイリターン」なやり方でした。
平成モデル(SPEED)
まず「沖縄アクターズスクール」という、すでにスターを生み出して信頼されている「学校」で、実力のある子たち(即戦力)を育てます。
そして、その子たちをデビューさせて、曲の良さやパフォーマンスのすごさでファンを増やしていくやり方です。
ただ、こちらのほうが、失敗するリスクが少なく、確実に成功しやすいですよね。
実際、SPEEDは「Body & Soul」でデビューしてから、「STEADY」や「White Love」、「my graduation」など、出す曲出す曲が大ヒット。
CDが100万枚以上売れる「ミリオンセラー」を連発して、音楽の世界でもビジネスとしても、ものすごい大成功を収めました。
日本・女性アイドルグループ一覧と変遷

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こうして、日本の女性アイドルグループ一覧をあらためて振り返ってみると、
「4人組」という同じ人数でも、時代を映す「鏡」のようになっているのがすごく面白いです。
昭和の終わり、日本全体が「これから景気が良くなるぞ!」という熱気に包まれていた時代に生まれた、壮大な夢のようなグループ「セイントフォー」。
そして、J-POPが日本の音楽の中心になって、「才能」や「技術」が何より大事にされた平成の時代に生まれた、実力派グループ「SPEED」。
どちらも、その時代だからこそ生まれて、あれだけ輝いた、本当にかけがえのないグループだったんだなと、私は改めて感じます。
4人組の女性アイドル・昭和時代の回顧まとめ
今回は、「4人組アイドル女性・昭和」という、ちょっとめずらしい切り口で、
伝説のグループ「セイントフォー」を中心に、平成の「SPEED」と比べながらお話ししてきました。
みなさんが気になっていた「昭和の4人組って誰?」という疑問は、スッキリしたでしょうか?
最後に、この記事の大事なポイントをもう一度まとめてみますね。
- 昭和の4人組女性アイドルとして、今も「伝説」として語られるのは「セイントフォー」です。
- 「40億円デビュー」や「アクロバット」という派手な戦略は、景気が上向きだった昭和の「イケイケ」な時代を象徴していました。
- 平成の4人組「SPEED」は、「沖縄アクターズスクール」出身の、高い「スキル」を持つグループでした。
- 昭和の「根性」や「努力」を見せるスタイルから、平成の「才能」や「実力」で勝負するスタイルへと、4人組グループのあり方は大きく変わったんです。
「4R組アイドル女性・昭和」と検索しても、なかなか情報が出てこなくて「あれ?」と思うかもしれません。
でもそれは、セイントフォーがあまりにも強烈な光を放って、あっという間に駆け抜けていった「伝説」のグループだったからかもしれないですね。
皆さんの心に残っている、懐かしい「4人組アイドル」は誰ですか?
また次回も、私なりの視点でアイドルのいろいろな魅力を掘り下げていきたいと思います。
ライタープロフィール

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推し活好きのメディア企業マネージャー。
数々のアイドルの現場に出張した経験を持つ。
ファンがもっと賢く、もっと楽しく「推し活」ができるように、
メディア現場ならではのマネジメント視点で情報やノウハウを発信中。
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