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アイドルが輝いた80年代!松田聖子・中森明菜など昭和を彩った伝説のアイドルを振り返る

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アイドルが輝いた80年代!松田聖子・中森明菜など昭和を彩った伝説のアイドルを振り返る

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1980年代の日本は、エンターテインメント史において「アイドルの黄金時代」と呼ばれるきらびやかな時代でした。

この時代に、一体なぜこれほどまでに国民的なアイドルブームが巻き起こったのでしょうか。

その背景には、複数の重要な要因が奇跡的に重なり合っていました。

 

今の50代・60代の方々にとっては、あまりに懐かしく、そして強烈でノスタルジックな記憶ではないでしょうか。

ブラウン管の向こうの輝きに心底沼った記憶が、この記事できっと蘇るかもしれません。

 

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80年代アイドルが「黄金時代」と呼ばれる理由とは

当時は生活の中心にテレビが欠かせなかった時代です。

アイドルと共に学生時代を過ごしたあの日々を懐かしみながら、ぜひ、あの時のエモーショナルな世界にどっぷりと沼ってお楽しみください。

 

なぜ80年代に国民的アイドルブームが起きたのか

80年代のアイドルブームは、単なる流行ではなく、時代の必然とも言える現象でした。

社会全体が豊かになり、人々が物質的な満足だけでなく、新しい「夢」や「物語」を心から求めるようになったこと。

 

そして、その夢を全国津々浦々に届けるメディアが、まさに成熟の頂点を迎えていたことが大きな理由です。

70年代の偉大なスターたちが築いた土壌の上に、80年代ならではのまばゆい個性を持った新しいスターたちが、 一斉に花開いたのです 🌸

 

当時の社会背景:好景気とテレビの成熟

当時の日本は、戦後の高度経済成長を経て、バブル景気へと向かう未曾有の好景気のまっただ中にいました 💰。

旺盛な消費社会が形成され、人々はエンターテインメントに対してレコードや雑誌、コンサートグッズなどへ積極的にお金を使うようになりました。

この強力な追い風を最大化したのが、成熟期を迎えた「テレビ」という最強のメディアです📺

 

ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオといった高視聴率の国民的音楽番組が、毎週ゴールデンタイムに生放送されていました。

アイドルたちはこれらの番組を通じて、瞬く間に全国のお茶の間で人気の顔となったのです。

テレビは、 まさにスターを「創造」し、その人気を日々増幅させる、巨大なエンジンとして完璧に機能していたのです。

 

「手の届かないスター」としての存在価値

現代の「会いに行ける」アイドルとは対照的に、80年代のアイドルはまさしく「手の届かないスター」でした ✨

テレビや雑誌といったメディアを通じてしか、私たちはその姿に触れることができませんでした。

彼ら彼女たちのイメージは、所属事務所によって周到に管理されていました。

 

例えば、本当は「イカの塩辛」が好きでも、インタビューでは「アイスクリーム」と答えるよう指導されるなど、完璧なペルソナが作り上げられていたのです。

このベールに包まれた私生活と、計算された神秘性こそが、ファンの抑えきれない憧れやファンタジーを強くかき立て「特別な存在」としての絶対的な価値を高めていたのです。

 

70年代アイドル(山口百恵さん)の引退と黄金時代の幕開け

80年代の黄金時代の幕開けを、これ以上なくドラマチックに演出した出来事が1980年の山口百恵さん(やまぐち ももえ さん)の引退です。

 

70年代を象徴するスーパースターが、人気絶頂のさなかにステージを去ったことで、芸能界にはぽっかりと巨大な空白が生まれました。

この文化的真空状態こそが、国民全体が新しい時代の、新しいヒロインの登場を待望する土壌ともなりました。

 

そして、 山口百恵さん(やまぐち ももえ さん)の持つ、どこか憂いを帯びた成熟したイメージとは全く対照的な「裸足の季節」や「青い珊瑚礁」でデビューした、どこまでも明るく屈託のない太陽のような輝きを持つ松田聖子さん(まつだ せいこ さん)が登場します。

この交代劇こそが、80年代アイドルの黄金時代が始まるための運命的な序曲だったのです☀️

 

80年代アイドルの二大巨頭「松田聖子」と「中森明菜」の決定的な違い

80年代のアイドルシーンを語る上で、松田聖子さん(まつだ せいこ さん)と中森明菜さん(なかもり あきな さん)という二人の巨星は絶対に欠かせません。

二人はあまりにも対照的な魅力で時代を牽引し、その存在自体が、 80年代という時代の物語を最もドラマチックに彩りました。

 

「太陽」松田聖子さん:確立した「完璧なアイドル」像

松田聖子(まつだ せいこ)さんは、まさに「太陽」のような存在でした☀️

彼女の髪型「聖子ちゃんカット」は、80年代を象徴するヘアスタイルとして爆発的に流行し、街は聖子ちゃんカットの女性で溢れかえったほどです。

彼女は音楽だけでなく、ファッションやライフスタイルにおいても絶対的なトレンドセッターでした。

 

「赤いスイートピー」や「青い珊瑚礁」に代表されるように、その明るくどこまでも伸びやかなハイトーンボイスと、松本隆(まつもと たかし)さんや松任谷由実(まつとうや ゆみ)さんら豪華制作陣による高品質な楽曲、

そして「完璧なアイドル」としての圧倒的な輝きで、80年代の理想的なアイドル像を確立しました。

 

「月」中森明菜さん:アイドルの枠を超えたアーティスト性

一方、中森明菜(なかもり あきな)さんは「月」のような妖艶で神秘的な魅力を持っていました🌙

「スローモーション」という清純派路線でデビューしましたが、2枚目の「少女A」で見せた不良少女のような挑発的なイメージで、従来のアイドル像を一気に打ち破りました。

彼女の真骨頂は、その徹底したセルフプロデュース能力にあります。

 

「DESIRE -情熱-」では、周囲の反対を押し切ってボブカットに着物をアレンジした斬新な衣装を自ら考案し、大ヒットと社会現象を生み出しました。

楽曲の主人公に完全に憑依するような「憑依型」と評される高い歌唱力と表現力は、もはやアイドルの枠を超えた「アーティスト」そのものでした。

日本レコード大賞を2年連続で受賞した実績が、その評価を物語っています。

 

メディアが作った「聖子派 vs 明菜派」のライバル構造

「聖子派か、 明菜派か」― この問いは、当時の教室や家庭で真剣に交わされた議論でした。

メディアは、このあまりにも対照的な二人を「太陽 vs 月」や「正統派 vs 異端派」といった分かりやすい対立構造でライバルとして演出し、世間の注目を煽りました。

その象徴的なエピソードが『ザ・ベストテン』で二人が共演した際、松田聖子さんを「ライバルです」と笑顔で答えたのに対し、中森明菜さんが「別に……」とだけ呟いた場面です。

このやり取りは二人のキャラクターの違いを決定的に印象付けました。

 

しかし実際には、中森明菜さんが松田聖子さんの大ファンであることを公言するなど、本人同士は互いの才能を認め合う、深いリスペクト関係にあったと言われています😊

 

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史上最高の豊作年「花の82年組」とは? 該当するアイドル一覧

80年代の中でも、1982年(昭和57年)は、特に多くのスターが同時に誕生した「奇跡の年」として、今なお記憶されています。

 

なぜ「花の82年組」は特別なのか?

1982年にデビューしたアイドルたちは、その驚異的なスター性の高さと、

なによりその「多様性」から後に「花の82年組」と呼ばれるようになりました🌸

 

中森明菜さんや小泉今日子さんを筆頭に、正統派から個性派、アーティスト志向まで、それぞれが強烈な個性を持ち、デビュー直後からトップシーンで活躍しました。

彼女たちが新人賞レースで一同に介した光景は、まさに伝説として語り継がれています。

 

82年組の主なメンバー(中森明菜さん、小泉今日子さん、早見優さん、堀ちえみさんなど)

「花の82年組」には、まさにそうそうたる顔ぶれが揃っていました。

 

圧倒的な存在感を放つ中森明菜さん、そして革命児・小泉今日子(こいずみ きょうこ) さん。

 

ほかにも、帰国子女で知的な魅力の早見優(はやみ ゆう)さん、

ドラマ『スチュワーデス物語』で国民的人気を得た堀ちえみ(ほり ちえみ)さん、

健康的で抜群のスタイルを誇った石川秀美(いしかわ ひでみ) さん、

「センチメンタル・ジャーニー」で鮮烈なデビューを飾った松本伊代(まつもと いよ) さん、

 

さらに、男性アイドルでは親しみやすいキャラクターのシブがき隊など、まさにスターの宝庫でした。

 

アイドル像を自ら更新した「小泉今日子」の功績

「花の82年組」の中でも、小泉今日子さんは「キョンキョン」の愛称で親しまれ、特別な存在感を放ちました。

彼女は、事務所の反対を押し切って自ら髪をショートカットにし、「作られたアイドル像」からの決別を宣言したのです。

そして極め付けが、秋元康さん作詞の「なんてったってアイドルです。

 

この曲は、アイドルが自ら「私、 アイドルです」と宣言し、その裏側さえもユーモラスに歌い上げるという、前代未聞の「メタ構造」を持った楽曲でした。

それまで神秘のベールに包まれていた「アイドルであること」自体を、彼女は一つのアイデンティティとして堂々と肯定したのです。

彼女の登場により、アイドルは単に「演じる」ものから「自己言及する」ものへと大きく進化したのです😲

 

女性アイドルの多様化:アイドル四天王とおニャン子クラブの登場

80年代も中盤から後半(1985年以降)になると、アイドルの形はさらに多様化し、新たなムーブメントが生まれます。

 

80年代後半の「アイドル四天王」は誰?(中山美穂さん・南野陽子さん・浅香唯さん・工藤静香さん)

80年代後半、松田聖子さんと中森明菜さんの二強時代に続き、特に絶大な人気を博した4人の女性アイドルが「アイドル四天王」と呼ばれました。

 

メンバーは「ミポリン」の愛称で女優としても大活躍した中山美穂さん、

ドラマ『スケバン刑事II』の主役で大ブレイクした南野陽子さん、

同じく『スケバン刑事III』で主役を務めた浅香唯さん、

 

そして、 後述するおニャン子クラブからソロとして大成功を収めた工藤静香さんです。

彼女たちは、音楽だけでなくドラマやCMでも時代を象徴する存在でした💖

 

「素人の時代」へ:おニャン子クラブが変えたもの

1985年にフジテレビのバラエティ番組『夕やけニャンニャンから誕生したおニャン子クラブは、日本のアイドル史における最大の「革命」でした💥

彼女たちの最大の魅力は、それまで完璧に作り上げられていたスター性とは真逆の

「普通の女の子」

「クラスの可愛い子」

という、徹底した「素人っぽさ」と親しみやすさにありました。

 

セーラー服を脱がさないで」などのヒット曲と共に、ファンは、

番組を通して彼女たちがアイドルとして成長していく(あるいは、 成長しない)過程そのものを「応援」することに熱中しました。

 

これは、ファンの立ち位置を、遠い星を見上げる「観客」から、

成長物語に参加する「支援者」や「プロデューサー」へと変える、決定的なパラダイムシフトでした。

 

おニャン子クラブから派生した人気メンバー

おニャン子クラブは、グループ本体の人気もさることながら、多くの人気メンバーが次々とソロデビューを果たしたことも特徴です。

 

先述の「アイドル四天王」の一人である工藤静香さんをはじめ、

「バレンタイン・キッス」が永遠の定番曲となった国生さゆりさん、

渡辺美奈代さんと渡辺満里奈さんの「W渡辺」、

「冬のオペラグラス」の新田恵利さん、

ソロデビュー第1号だった河合その子さんなど、グループ卒業後もそれぞれが個性的な活躍を見せました。

 

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80年代に活躍した「男性アイドル」一覧

輝かしい黄金時代は、女性アイドルだけのものではありません。

男性アイドルもまた、熱狂的なブームを生み出し、時代を牽引しました。

 

80年代前半:たのきんトリオ(田原俊彦さん・近藤明彦さん)とシブがき隊

80年代の男性アイドルブームの火付け役は、なんといってもテレビドラマ『3年B組金八先生』から生まれた「たのきんトリオ」でした。

田原俊彦(たはら としひこ) さん、近藤真彦(こんどう まさひこ)さん、野村義男(のむら よしお) さんの3人組です。

 

特に「トシちゃん」こと田原俊彦さん(たはら としひこ さん)の抜群の運動神経を生かした華麗なダンスと

「マッチ」こと近藤真彦さん(こんどう まさひこ さん)の「ギンギラギンにさりげなく」に代表されるロックンロール調の楽曲は、絶大な人気を誇りました。

続いて登場したシブがき隊は「たのきん」よりもさらに親しみやすい「ヤンチャなクラスメイト」的なキャラクターで大きな人気を集めました。

 

80年代中盤:少年隊とチェッカーズの衝撃

80年代中盤には、二つの異なるタイプのグループがシーンを席巻しました。

ジャニーズ事務所からデビューした少年隊(しょうねん たい)

「仮面舞踏会」などで見せたブロードウェイミュージカルを彷彿とさせるアクロバティックで高度なダンスパフォーマンスで、歌謡界に衝撃を与えました 🕺

 

一方、福岡から登場したチェッカーズ(THE CHECKERS)は、 前髪を垂らした独特のファッションと、

「ギザギザハートの子守唄」

「涙のリクエスト」

といったキャッチーな音楽性で、アイドル的な人気とバンドとしての実力を両立させ、一大ムーブメントを巻き起こしました。

 

80年代後半:社会現象となった光GENJI

80年代後半の社会現象といえば、光GENJI(ひかる げんじ)の登場を置いて他にありません。

ローラースケートを履いてステージを縦横無尽に滑りながら歌い踊るという、

それまで誰も見たことがなかった斬新なパフォーマンスは、全国の少女たちを熱狂の渦に巻き込みました⛸️

 

「STAR LIGHT」や「パラダイス銀河」といった大ヒット曲を連発し、彼らの人気は80年代の終わりを象徴する、最後の大きな花火のようでした。

 

【デビュー年順】80年代女性アイドル一覧(1980年〜1989年)

「推しの人」イメージ画像

80年代には、まさに「群雄割拠」という言葉がふさわしいほど、毎年個性豊かな多くのアイドルがデビューしました。

ここでは、当時の記憶に基づき、デビュー年ごとに主な女性アイドルを時系列で振り返ります。

 

1980年デビュー組(松田聖子さん、河合奈保子さん、柏原芳恵さんなど)

黄金時代の幕開けとなった1980年。

なんといっても松田聖子さんが「裸足の季節」でデビューし、続く「青い珊瑚礁」で圧倒的な輝きを放った年です。

 

ほかにも「聖子ちゃんのライバル」と目され、「ヤング・ボーイ」などのヒットを放った河合奈保子(かわい なおこ)さん、

岩崎宏美(いわさき ひろみ)さんの妹である岩崎良美(いわさき よしみ) さん、

「ハロー・グッバイ」がヒットした柏原芳恵(かしわばら よしえ) さんなどが相次いでデビューしました。

 

1981年デビュー組(松本伊代さん、薬師丸ひろ子さんなど)

1981年は、翌年の大爆発を前に、 強い個性を持ったアイドルが登場しました。

「伊代はまだ、16だから」と歌った「センチメンタル・ジャーニー」が記録的ヒットとなった松本伊代(まつもと いよ) さんが代表格です。

 

また、角川映画『セーラー服と機関銃』で主役を務め、

同名の主題歌も大ヒットさせた薬師丸ひろ子(やくしまる ひろこ) さんは、「アイドル映画」というジャンルを確立させました。

今では社会的な背景や、コンプライアンスなどの面で理解されにくい世界観が、庶民の「内心」にくすぶっていたため大きな波紋を呼んだ作品となりました。

 

1983年デビュー組(不作の年? 岩井小百合さん、伊藤麻衣子さんなど)

前年の「花の82年組」のインパクトが強烈すぎたため、相対的に1983年は「不作の年」と呼ばれることもありました。

 

しかし、横浜銀蝿のマスコットガールとしてデビューした岩井小百合(いわい さゆり) さんや、

ドラマ『不良少女とよばれて』の主演も務めた伊藤麻衣子(いとう まいこ) さん、

ボーイッシュな魅力の大沢逸美(おおさわ いつみ) さんなど、より個性的なアイドルたちが堅実にテレビのシーンを支えました。

 

1984年デビュー組(岡田有希子さん、菊池桃子さん、荻野目洋子さんなど)

1984年は、対して82年に匹敵するほどのアイドル創出豊作の年でした。

 

『スター誕生!』出身で「ポスト松田聖子」と最高に期待された岡田有希子(おかだ ゆきこ) さんが「ファースト・デイト」でデビュー。

ささやくような歌声と独特の雰囲気でカリスマ的な人気を誇った菊池桃子(きくち  ももこ)さんも、この年です。

さらに、後に「ダンシング・ヒーロー」で再ブレイクする荻野目洋子(おぎのめ ようこ) さんも84年にデビューしています。

 

なお、2017年に、この頃の”バブル時代”を象徴し、見事に再現したリバイバル・リメイク作品として、登美丘高校ダンス部が「バブリーダンス」をリリースし、日本中の老若男女を沸かせました。

 

1985年デビュー組(中山美穂さん、南野陽子さん、斉藤由貴さん、本田美奈子さんなど)

1985年もまた「当たり年」と呼ばれます。

中山美穂(なかやま みほ) さん、

南野陽子(みなみの ようこ) さん、

浅香唯さん(あさか ゆい) さんといった後の「アイドル四天王」や、

『スケバン刑事』初代の麻宮サキを演じた斉藤由貴(さいとう ゆき) さんが「卒業」でデビュー。

 

「1986年のマリリン」で見せた抜群の歌唱力とパフォーマンスを誇った本田美奈子(ほんだ みなこ) さん、

そして何より「おニャン子クラブ」がデビューした、まさにアイドル界にとって感動と激動の年でした。

 

1986年~1989年デビュー組(渡辺美奈代さん、工藤静香さん、Winkさんなど)

80年代後半は、おニャン子クラブからのソロデビューがチャートを席巻しました。

渡辺美奈代さんが「瞳に約束」で、

渡辺満里奈さんが「深呼吸して」でW渡辺のデビュー。

 

1987年には、おニャン子卒業組の工藤静香さんもソロデビューし、一気にトップスターに。

 「のりピー」の愛称で人気だった酒井法子(さかい のりこ) さん、

独自の歌唱路線を切り開いた森高千里(もりたか ちさと) さんもこの年です。

 

1988年には、無表情で踊るスタイルが新鮮だったWink(ウィンク)が、

1989年にはCoCo(ココ)ribbon(リボン)といった、後のアイドルグループの原型となるグループがデビューし、時代の終わりを彩りました。

 

時代を彩った「売れなかった」B級アイドルの魅力

黄金時代を語る上で、ヒットチャートの常連だったA級アイドルだけでなく、

セールスには恵まれなかったものの、短期間ながらも強烈な印象を残した「B級アイドル」たちの存在も忘れてはなりません。

 

なぜ今、B級アイドルが再評価されるのか

B級アイドルとは、大きなヒットには恵まれなかったものの、一部の熱心なファンに支えられたアイドルたちを指します。

特に黄金時代初期の80年代前半(80年~84年)には、当時の流行だった聖子ちゃんカットとフリフリの衣装といった

「ザ・80年代」なスタイルで、純粋に、ひたむきにアイドルを全うしようとした少女たちが多くいました。

 

その商業的な成功とは別の次元にある「ひたむきさ」や、

荒削りながらも時代を感じさせるレトロな魅力が、時を経て近年、知る人ぞ知るカルト的な再評価を受けているのです😌

 

データベースから探る注目のB級アイドル(比企理恵さん、沢田富美子さんなど)

例えば、80年組の売れっ子たちがデビューする前に先陣を切った比企理恵(ひき りえ)さんは、デビュー曲「恋のローラーブーツ」で、不慣れながらも一生懸命に歌う姿が、逆に「かわゆい」と評されています。

また、81年組の沢田富美子(さわだ ふみこ) さんは 「ちょっと春風」などで見せた、まるでお花の妖精のような圧倒的な可愛らしさで、知る人ぞ知る隠れた名曲を歌う存在でした。

 

82年組の水野きみこ(みずの きみこ) さんや、83年組で武道館コンサートの最年少記録を持つ岩井小百合(いわい さゆり) さんなども、B級アイドルの文脈で語られることが多いです。

彼女たちのような個性的なアイドルの存在こそが、80年代という黄金時代の層の厚さと奥深さを物語っています。

 

80年代アイドルの名曲を支えた「ヒットファクトリー」の仕組み

80年代アイドルソングの多くが、なぜ40年以上経った今でも色褪せず、時代を超えて愛され続けるのでしょうか。

それは、アイドル個々の才能だけでなく、

ヒット曲を安定的に生み出す「製造工場(ヒットファクトリー)」とも呼べる強力なプロフェッショナル制作システムが存在したからです。

 

伝説の作家陣(松本隆さん、筒美京平さん、秋元康さんなど)の役割

当時のアイドル産業は、当代一流の、まさに天才と呼べる作家たちによって支えられていました。

作詞家では、松田聖子さんの詩的な世界観を描き出した松本隆さん。

中森明菜さんの「少女A」を手掛けた売野雅勇さん。

 

作曲家では、歌謡曲史上最も多くのヒットを生み出し、小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」も手掛けた筒美京平(つつみ きょうへい) さん。

中森明菜さんに「飾りじゃないのよ涙は」を提供した井上陽水さん。

そして、おニャン子クラブの総合プロデューサーであり、数々のヒット曲を生み出した秋元康さん。

 

これらの伝説的な天才作家たちがこぞって、アイドルの個性に合わせた最高品質の楽曲を提供し続けたことが理由にあるのです🎶

 

国民的音楽番組『ザ・ベストテン』と『夜のヒットスタジオ』の影響力

これらの素晴らしい名曲を、毎週、 全国のお茶の間に届けたのが、絶大な影響力を持った二大音楽番組、

TBS系列の『ザ・ベストテン』とフジテレビ系列の『夜のヒットスタジオ』です🌟

TBSテレビ「ザ・ベストテン」より出展

TBSテレビ「ザ・ベストテン」

 

TBS系の『ザ・ベストテン』は、独自のランキング形式で「今週は1位になるか?」という毎週のドラマを生み出しました。

羽田空港の滑走路から中継で歌う松田聖子さんの姿は伝説です。

 

フジテレビ系の『夜のヒットスタジオ』は、ランキングにこだわらず、豪華なフルオーケストラの生演奏をバックに、アーティストの持ち歌をフルコーラスで披露させる本格志向で、番組のトリを務めることは最高の栄誉とされました。

インターネットもSNSもない時代、これらの番組は国民的な「共有体験」の場でした。

 

学校や職場では前夜の放送内容が話題の中心となり、この強力なメディアの光を浴びることで、アイドルたちは単なる歌手から、時代を象徴する真の国民的スターへと変貌を遂げたのです。

 

黄金時代への序章:80年代に繋がる「70年代アイドル」

80年代の輝かしい黄金時代も、もちろん突然始まったわけではありません。

その強固な土台には、1970年代に「アイドル」という文化を切り開き、開拓した偉大な先駆者たちの功績がありました。

 

70年代アイドル一覧(天地真理さん、山口百恵さん、キャンディーズなど)

1970年代には、まず「新三人娘」と呼ばれた天地真理(あまち まり)さん、

小柳ルミ子(こやなぎ るみこ)さん、

南沙織(みなみ さおり)さんが登場しました。

 

続いて、オーディション番組『スター誕生!』から「花の中三トリオ」と呼ばれた森昌子さん、桜田淳子さん、

そして、後に伝説となる山口百恵さんが人気を博しました。

 

グループアイドルとしては、「普通の女の子に戻りたい」という言葉と共に劇的な解散を遂げたキャンディーズ(Candies)

「UFO」「サウスポー」など過激な振り付けで社会現象となったピンク・レディー(Pink Lady)も70年代を代表するアイドルです。

 

80年代アイドルと70年代アイドルの違いは?

70年代のアイドル、特にその象徴である山口百恵さんには、10代でありながら、どこか憂いを帯びた「影」のある、成熟した大人の魅力がありました。

 

それに対し、80年代の幕開けを飾った松田聖子さんに代表されるアイドルたちは、その「影」を完全に払拭するような、どこまでも明るく、屈託のない「太陽」のような輝きを持っていました。

 

この底抜けの「明るさ」こそが、経済的にも上り調子だった80年代という時代の空気と完璧にシンクロし、国民全体を巻き込む熱狂を生み出す最大の要因となったのです。

 

まとめ:80年代アイドルが現代のJ-POPとアイドル文化に残した遺産

「推しの人」イメージ画像

永遠に続くかと思われた80年代アイドルの黄金時代も、80年代の終わりが近づくと共に訪れた「バンドブーム」などにより、音楽シーンの主役が移り変わり、 徐々にその勢いを失っていきます。

 

しかし、彼女たちが残した偉大な遺産は、消えることなく、現代の日本のエンターテインメントの基盤として深く生き続けています。

松田聖子さんが確立した「完璧なアイドル像」。

中森明菜さんや小泉今日子さんが切り拓いた「自己表現するアーティスト」としてのアイドルの在り方。

 

そして、おニャン子クラブが確立した「ファン参加型」の大人数グループというフォーマットは、プロデューサーの秋元康さん、つんく♂さんらの手によって、後のモーニング娘。やAKB48グループへと、直接的に受け継がれています。

 

さらに近年では、80年代の洗練されたサウンドやファッションが「シティ・ポップ」として海外で世界的に再評価されています🎧

80年代アイドルは、単なる懐かしい過去の思い出ではなく、日本のポップカルチャーが未来へと進むための永遠の道標なのです💖

 

また、この歴史を知らない若い世代の人たちにも、こういった芸能・アイドルの近代歴史をじっくりと振り返ることで、現代に続く業界の道理や習わしが、より深く理解できてくると思い、筆を執った次第です。

 

参照:つくばリポジトリ「アイドル 150 年」 / Wikipedia「アイドル」

This article was written by 月島レイ

ライタープロフィール

月島レイ
月島レイ
推し活好きのメディア企業マネージャー。
数々のアイドルの現場に出張した経験を持つ。
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メディア現場ならではのマネジメント視点で情報やノウハウを発信中。

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